秋の光と風

路地脇の公園で朝の光と温もりを浴びて

樹木がきらきらと光を反射させている

すっかり紅葉色になった葉が空を舞い

体を真っ赤にした蜻蛉は低く飛ぶ

私を乗せたバスは秋の中を駆け抜けて

気づけばユキムシすら遥かうしろ

透き通った風が季節を運ぶ

バスは停留所で次々と

飲み込んでは通りすぎる

胸いっぱいに風を吸い込み秋に更けて

そして今日も人は季節に旅をする

 

 

 

 

結婚記念日を前にして

7月31日は結婚記念日。妻がホテルのレストランにランチを予約したらしい。予約したのはいいけど、確認の連絡はいつきたの?と聞いたら、みてないよーと苦笑しながら豪語。はははと笑っている。頼もしいことこの上ないが、行ってから駄目ですじゃ話にならない。仕方なしに明日、自分が確認の電話をすることに。気付けば結婚生活も六年目に突入しようとしています。飼い犬も来年で5歳になるのかな。岩手から札幌に来て、8年くらいになります。何もかもがあっという間だったような。家族には、これからもよろしく。自分には、まだまだ頑張れるだろう?の喝をいれたい。人生も折り返しの中継がみえてきたけど、可能性はきっと無限。いつか辿り着くと思って、心機一転がんばりたい、そんなパパなのです。

犬の記憶

夢を見ている感覚の中

今では遠い記憶の街

見覚えの有る笑顔が通りすぎる

破顔とは言い難い

しかし  見たことの有る気色

学校の前を流れる小川

道なりに歩いて  最初の信号は左へ

やがて顔に守られている感覚は遠退き

やはり見覚えの有る家屋に足を踏み込む

そこは泥沼の床に  二階に人の気配

そうだ僕はここに住んでいた

そんなはずの無い記憶を頼りにして

誰かに見られた気がして振り返る

壁の小さな隙間に  子犬の横顔

「あ、ココ!」叫んだのは僕  時を置かずに

女性の泣き声が聞こえ  刹那に

目が覚めていた

 

 

前妻の実家にはココという犬を飼っていたことを思い出します。今その時まで忘れていたことでした。ココと僕は仲が良かった。

目覚めてからしばらく、呆然としていました。ベットの中には丸くなるように、9が眠っています。お前が繋いだの?と話しかけても9は、すやすやと。

決して若くなく、それでも元気そうにお腹を見せて甘えていた姿。皆に愛されていた、ココ。

もう会うことは無いとはわかっていながら、せめて遠くから見ることができたらなんて、無理なことを願うのです。

 

 

 

 

風は暖かい

春はすぐそこまで来ているのに

どうしたい?塞ぎこんでさ

 

風は暖かく雪道には小川ができている

街行く人達は師走を通り抜け

いつの間にか人の顔も穏やかに

 

いつか追い越した自転車は

まだ後ろにいるかい?

いつの間にか追い越されて

そんなはずはと振り返っても

もう誰もいないよ

 

遠くに見える風力発電の羽

両腕を精一杯広げた姿で

雄々しく風を胸に受けている

遠く遠くに小さく

近ずけば行くほど羽は

ゆっくり回る

 

もういいじゃないか

 

あの人はきっと辿り着いている

僕もそろそろ立ち上がろう

風は背中を押しながら

光の指す方向は真正面

あとは右足を出すだけなんだ

左は気分に任せて

唯唯帆に受ける風を待とう

 

あとは右足をだすだけだから

 

 

 

春の嵐

ある作業所を辞めてから、ひと月になる。

その後、家にぼんやりいて、仕事を探さずに犬の相手等をしている。「仕事に行かずに、ご隠居さんをするよ」と笑っていたのも二週間前。今となっては笑ってごまかすのも難しい。

朝、開店直後のスーパーへ行き、昼食などを買う。買うものは決まっている。カロリー控えめのドリンクと、やはり制限された食材をいくつか。20分も歩いては帰宅する。テレビを見て、ゲームに没頭。現実と理想の矛盾を感じながら。

「それは、俺が話しているからだ。障害について情報を共有するのは当然だ。それぞれの障害特性を知ることで、摩擦は減る。だから…」

スマートフォンを片手に社長からの正論に似た言い訳を聞いた。何を言っているのかはわかっているつもりだが、裏切られたという気持ちが強い。そういえば、やはり先輩が辞めたときに、先輩の病について詳しく説明されたことがある。その時は、先輩を知っている自分だからというのを根底に話していると思ったが、実際は違ったかもしれない。利用者の状態を他の利用者や無関係の人に話すのは社長の悪癖で、それを正当化するために理由を繕った。そう受けとるのが正しかった。それ以来、A型作業所にさらに強く疑惑を抱くようになっている。作業所とは、利用者の状態を影で噂をして、平気でいる人たちという見方が強くなった。

 

洗濯を終え、犬のトイレを綺麗にする。窓の外は雪で真っ白だった。風は強く、勢いよく壁を叩くような音がする。部屋を満たしている音楽も、暖房で暖められた空気にも。何にも満足はしない。ただ、何事か考えている。これからのこと。家族の将来、不安。それらが空気になって静かに漂っている。

 

仕事をやめてきた事実は重なって、今となっては取り返しがつかない。あの時、短気を押さえることができたら、わかっていてもやり直せはしない。しかし、許していいことと、そうはいかないこともある。社長が「申し訳ありませんでした」と頭を下げればそれで済んだことだった。しかし、そうはならなかった。長いものに巻かれるより、こだわり続ける方が苦しみは長い。そんな、この最近。私はまだ風に吹かれている。音をたてて暴れるような風の中で。

英雄

君の休日に会社へ行くときは、僕は何故か誇らしげな顔になる。

向かっているはずなのに、凱旋しているみたいな。

お昼も食べずに待つ君のために、僕の今日の仕事もお昼まで。

ちょっと英雄らしからない仕事っぷりかな。

それでもいい。一つでも君に誇ることができるなら。

 

リボンをほどこう

 一昨日、転属願いは受理され、たぶん来季からは違う部署へ。

 うまくいけば、文書作成の課に編入されます。

 そこにたどり着くまで随分かかったなぁという実感です。

 少なくてもこの5年間いろいろありました。それ以前の35年を岩手で過ごしたけど、その時間はまるで抜け殻のような時間に思えます。

 札幌へ来てからの時間がうねりを挙げている。激動の時間です。

 たった5年なのに。

 きっと自分の性分としては、その長く呆けていた時間に体があっていて、この5年間はきつく感じたと思う。けど、その充実が自然だという人の方が世の中にはよっぽど多いはず。

 35年間、だらけて過ごしたとは思わないです。それが自分の基礎になっているのはもっともなことだもの。

 でも住む環境や人との出会い方の違いでこうも変わるかと思うと不思議で仕方ありません。

 振り返ればラッキーだったことそうじゃないこと、これからを思っても同じようなことを考えます。

 でも、問題がひとつだけ消えた、今。最も悪い時期と思われる時間を乗り越えた、今。

 だから越えれる坂や、もう越えてしまった坂がいくつかあるはずなんじゃないかなとも。

 そう考えると、新鮮な気持ちになれていいと思う。

 

 今朝、ASKAさん達からyutubeに動画が発表されて、クリスマスプレゼントみたいに思え、涙しました。

 今日、一番に開けたプレゼントですからね。

 

 「あの窓の向こうには 語らない 人生があった

  いつのころからか僕は その窓を見守るようになっていた」

 

 ほんとに、チームASKA、と呼んでいいでしょうか、ありがとうございます。

 皆さまたちにも温かいクリスマスが訪れますように。

 

 メリークリスマスです。

  

 もう一つだけクリスマスプレゼントが欲しいかな、願いを言わせていただければ、

 

 「有馬記念を当てたい!がんばれ、キタサンブラック!!」

 

 これは無理でしょうねw