メロンパン

 「洗濯はちゃんとしておいてね。仕事を休むんだからそれくらいはね」

 いそいそと妻が玄関先でスニーカーを履く手を動かしながら、そんなことを言った。

 「じゃぁ、行ってくる」

 とだけ言い残し仕事へ向かった。

 僕はさっきから持ちっぱなしの古い月刊誌を片手に、リビングへ戻る。

 愛犬が先にソファで横になっている。それを押しのけて、すっかり遅くなってしまった朝食を食べる。

 乾いたパンをコーヒーで飲み込んで、テレビを点けて、やっぱり消した。

 パソコンのスイッチをいれて、何か書こうかと頭をひねるが、何も浮かばない。

 本当なら今日は仕事が入っている。さぼったのかなぁ、と呟いても犬が不思議そうな顔をするばかりだった。

 言われた洗濯はなかなか手をつけなかった。やるよやるよと昨晩、妥協したものの、実際、辛そうに口を一杯に開けている洗濯機を見ると、ちょっと気力が失せてしまう。

 そんなことをしながらキーボードをたたく。

 ほんとうなら書くことはたくさんある気がする。

 いいんだ、なんでもないことでいいんだと言い聞かせながら、キーと向き合ってみるけど、実際はなかなか進まなかった。だめだな。呟く。子犬はあくびをしている。

 ふっと首をかしげて窓の外をみつめる。

 春だというのに、空はどんよりとしていて、なかなか春らしくなかった。ふぅんと一人ごち。

 「仕事へ行かないのは単なるさぼり」と言われて反論もできなかった。その通りだもの。いいんだ、家事するから。と開き直ってみても、どうにも恰好が悪い気がして仕方ない。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、いつの間にか、CDも一周が終わって10時になろうとしている。ご飯を買いに行こうと、だらしなさを忘れるように決めてみる。

 妻が働いて旦那はぼんやりさん。そういえば、自分の父も仕事をしない人だったことを思い出す。

 働いてたのはいつも母のほうだった。自分がそんな関係を憎んで父をなじったこともあった。父はただ聞いているだけだった。家庭はそんな時は騒然として、いつ崩壊してもおかしくない空気を醸し出していた。そして時間は進み、家庭が崩壊した。自分のせいじゃないと言い聞かせながら、そのころの話は、誰にもできない。家族の中でもタブーみたいになっている。自分が悪かったのか、そうではないのか。

 それから数年して、自分が父と同じ道を歩こうとしている事実を、少しずつ感じ始めている。父とは違う。誰もがそう思うかもしれない。そしてもしかしたら、そう思っているのは自分だけかもしれない。それはわからないことだ。ただいえるのは、血は巡り、運命もまた輪廻するかもしれないということだった。そんな父の現実をみながら育った自分にはいつの間にか、そういう姿もあるのだと身に染みてしまっているのかもしれない。

 買い物へ向かう途中、昼休みの妻とメールをしていた。

 「おやつはメロンパンがいいな」と妻が送信する。

 メロンパンね。と僕が返信した。 

 父と違うのは、妻を純粋に愛していることだと思う。家族を大事にしなかったとみえた、父とは違うともう一度言い聞かせる。

 「函館のクリームメロンパンでもいいの」「特選がいいんだけど」

 苦笑する妻の顔を想像しながら、鼻歌交じりに買い物へ。

 仕事をさぼって、家族のだんらんを想像する。

 何もかもは、これからの僕次第。父の人生は、父の人生。僕の人生は、妻と共に歩む人生。

 何かが間違っているようで、一方でそれでいいやという気もした。

 今はただ、妻だけは不幸にしてはいけないという気持ちを強く持ち続けたいと思う。

 それは父も、もしかしたら、同じだったのかもしれないけれども。

 

 終わり