午前中までの雨が嘘のように晴れて、札幌は、まさにヨサコイ日和です。
街には法被を着た健康そうな人々で賑わって居ます。
札幌駅南口の踊り場も人だかりで溢れ、暑い中で踊る人達、見る観光客が初夏の暑さにまみれながらも、どの顔も笑顔でした。
久しぶりの仕事への復帰第一日目は、なんだか背中を押してもらえたか、大成功。
とりあえず、次に弾みがつきました。
午前中までの雨が嘘のように晴れて、札幌は、まさにヨサコイ日和です。
街には法被を着た健康そうな人々で賑わって居ます。
札幌駅南口の踊り場も人だかりで溢れ、暑い中で踊る人達、見る観光客が初夏の暑さにまみれながらも、どの顔も笑顔でした。
久しぶりの仕事への復帰第一日目は、なんだか背中を押してもらえたか、大成功。
とりあえず、次に弾みがつきました。
ここに来ると、どうしても考えてしまう。
必要とされているのか、不必要なのかということ。
僕は弱いし、打たれれば簡単にノックダウンしてしまう。
でも、それを他者に説明はしたくはない。
わかってほしいと、現実の人々に求めることができない。
だから、誤解を受ければ、曲解もする。
苦しんでいる理由も話したくないし、苦しいと白状することも、難しい。
それを簡単にできる人を、羨望の目で見ながら軽視もする。
要は、僕はとてもダメなやつだ。
一度きりの時だ。どうやって乗り越える?
どうしたら、乗り越えられる?
その答えはもう、でているのだけれども。
本を開いて居眠りをしながら地下鉄に揺られているサラリーマンを、見ていた。
僕も仕事へ、一応向かう途中である。
一応というのには、理由がある。
休んでしまおうかと考えながら、地下鉄に乗っているからだ。
僕とこのサラリーマンは大きく違う。
彼は忙しい最中に居眠りをしながらも、さらに書を閉じずに、仕事へも行こうとしている。
一方の僕は、特に理由もなく、仕事から遠ざかろうとしている。
外は雨が降っている。
なんだか、水の匂いが、地下鉄を降りて、階段を登る度に強くなってきた気がする。
雨は休む理由にはなるまい。
サラリーマンがみせていた、姿からなにかを学び取るか、言い訳のような買い物をして帰ってしまうか。
どちらにしても、雨は止みそうもない。
病院に来ています。
待合で座りながら、読書をしていました。
「人間三国志 第1巻 覇者の条件」
著林田慎之助です。
この本を初めて手に取ったのは、25年前、中学生のころです。
難しそうだなと、感じたのを覚えています。
当時、三国志に興味を持ち始めたばかりでした。
横山光輝の漫画三国志から入り、徐々に誘われるようにして、買ったものでした。
人物では、曹操に憧れました。
大人になったら、彼らのように自由に世の中を渡り歩く生き方がしたいとも、影響を受けたのも思い出です。
齢も40になろうとすると、人生の形は見えてくるものです。
僕は、とうとう、曹操にはなれませんでした。
昨日、田舎の父から久しぶりに連絡があり、交通事故に遭い、打撲程度だったものの、MRIで検査をしたら、脳にもやがあるとのこと。
生きていれば自由だけで片付けられないことが、乗り越えても現れます。
平成の曹操は、父の病を看病して、天下統一は、果たせないけど、祖先の霊廟を守ることは、できるかもしれません。
父の健康を祈りつつ、家庭を守る英雄でありたいと願う、今日この頃です。
愛犬の9ちゃん(名前です)は先日、去勢手術を終えて、やっと首からカラーが外れました。
痛々しい姿を見せているよりも、元気に動いているほうがいいと僕たちは、目を細めています。
9ちゃんが我が家に来たのは、もう一年と4か月前です。今では1歳半になります。
作品にあったように拾われた犬ではなく、ペットショップで買いました。
最初は元気のない犬で、大人しいとしかいいようがなかったのです。しかし、今では人懐っこい、時とすると知らない人に尻尾を振ってついていってしまうようなやつですが、元気な犬になりました。
これからも作中には時々、顔を出すでしょう。暖かい目で見守ってください。
9ちゃん、至らないパパとママだけど、長生きしてほしい、元気でいてほしいという願いはほんとうだからね。これからもよろしくね。
年に一回の贅沢だからと、街外れにできたばかりの、郊外型の大きな、喫茶店だろうかレストランだろうかに、妻に誘われて連れていかれたのは、考えてみたらもう1年も前のことになる。
パンケーキのおいしい店だった記憶がある。かなり大きなパンケーキを出す店だった。
「このお店は並ばないと食べれないんだから」と得意げに面倒なことを妻が言った記憶がある。実際行ってみたら、11時で行列ができていた。閉口しながらも、文句を言わずに列に連なった。
店内は某ハンバーグ店みたいな粗野な作りで、それでいてこじんまりとしている。どこかテーマパーク染みた装丁のお店だった。
ジョッキみたいな大きなミルクコーヒーを出すお店で、僕は正直を言うと、コーヒー牛乳はあまり得意ではなかったから少しだけ困ったものだった。
得意ではないというのは、すぐにお腹を悪くしてしまうのである。悪くするとトイレに駆け込むこともある。牛乳があれなのか、コーヒーのカフェインがよくないのか一寸わからないが、事実、あまり得意ではないのだった。
頼まなければいいのだが、みんなが呑んでいると不思議なことに、うまそうにみえて仕方がない。当然、頼みました。お腹のことはすっかり忘れてしまって。
帰り際、おいしかったねと大きなパンケーキを二人で平らげて、満足した妻が言った。そうだねと相槌を打つ。その帰り道に、ミルクコーヒーはたたらなかった。ただ、なんとなく幸せだなという気持ちが事実として残った。
ミルクが悪くなければ、コーヒーも悪くない。きっと場所と空気と気分が悪い時が、悪い時。わかったようなわからないようなことを言ったあの日は、すでに去年の初夏のことになっている。
パンケーキと妻の笑顔を思い出す。そして、大きなジョッキに入ったミルクコーヒーも、いつもと同じ味だった気がするけれども。
終わり