春の嵐

ある作業所を辞めてから、ひと月になる。

その後、家にぼんやりいて、仕事を探さずに犬の相手等をしている。「仕事に行かずに、ご隠居さんをするよ」と笑っていたのも二週間前。今となっては笑ってごまかすのも難しい。

朝、開店直後のスーパーへ行き、昼食などを買う。買うものは決まっている。カロリー控えめのドリンクと、やはり制限された食材をいくつか。20分も歩いては帰宅する。テレビを見て、ゲームに没頭。現実と理想の矛盾を感じながら。

「それは、俺が話しているからだ。障害について情報を共有するのは当然だ。それぞれの障害特性を知ることで、摩擦は減る。だから…」

スマートフォンを片手に社長からの正論に似た言い訳を聞いた。何を言っているのかはわかっているつもりだが、裏切られたという気持ちが強い。そういえば、やはり先輩が辞めたときに、先輩の病について詳しく説明されたことがある。その時は、先輩を知っている自分だからというのを根底に話していると思ったが、実際は違ったかもしれない。利用者の状態を他の利用者や無関係の人に話すのは社長の悪癖で、それを正当化するために理由を繕った。そう受けとるのが正しかった。それ以来、A型作業所にさらに強く疑惑を抱くようになっている。作業所とは、利用者の状態を影で噂をして、平気でいる人たちという見方が強くなった。

 

洗濯を終え、犬のトイレを綺麗にする。窓の外は雪で真っ白だった。風は強く、勢いよく壁を叩くような音がする。部屋を満たしている音楽も、暖房で暖められた空気にも。何にも満足はしない。ただ、何事か考えている。これからのこと。家族の将来、不安。それらが空気になって静かに漂っている。

 

仕事をやめてきた事実は重なって、今となっては取り返しがつかない。あの時、短気を押さえることができたら、わかっていてもやり直せはしない。しかし、許していいことと、そうはいかないこともある。社長が「申し訳ありませんでした」と頭を下げればそれで済んだことだった。しかし、そうはならなかった。長いものに巻かれるより、こだわり続ける方が苦しみは長い。そんな、この最近。私はまだ風に吹かれている。音をたてて暴れるような風の中で。